本物のベートーベンスウェットと、ハワード・ゴセージのキャンペーン広告のはなし

※本記事は 2017 年公開時の内容をもとに、2025 年に一次資料(判決文・広告資料)を参照して加筆・修正しています。

ハワード・ゴセージの書影

Beethoven(ベートーベン)、Brahms(ブラームス)、Bach(バッハ)の三人の作曲家をモチーフにした「Three B’s」スウェットは、ヴィンテージスウェットとしてだけでなく、広告キャンペーンの成果物としても語り継がれています。

このスウェットの企画を仕掛けたのが、サンフランシスコの広告マン
Howard Luck Gossage(ハワード・ラック・ゴセージ) です。

ここでは、Three B’s スウェットのキャンペーンの流れと、ゴセージという人物像、その広告観、そして Three B’s をめぐって起きた裁判の顛末を整理します。


「Three B’s」スウェットを着て歩く 1000 マイルキャンペーン

Three B’s スウェットのキャンペーンは、ビールメーカー Rainier Brewing(レーニア・ブルーイング) が、広告代理店 Weiner & Gossage に依頼する形で始まります。

キャンペーンの背景

  • 時期:1961 年前後
  • クライアント:Sicks’ Rainier Brewing Company(Rainier Ale)
  • メディア:サンフランシスコのクラシック音楽ラジオ局「KSFR」の番組スポンサー企画
  • 目的:クラシック音楽番組とビールの両方に話題を生むキャンペーン

ラジオ番組のリスナーに向けたノベルティとして企画されたのが、Three B’s スウェットです。
ベートーベン、ブラームス、バッハの肖像がそれぞれ前面に大きくプリントされ、後にモーツァルトも追加されました。

プレゼントキャンペーンとしての Three B’s

最初の Three B’s は、次のような形で配布されたとされています。

  • ラジオ番組の中で Three B’s スウェットを告知
  • 聴取者に向けて 4 ドルのクーポンと引き換えにスウェットを進呈
  • 約 600 着のスウェットが、リスナーに配布された

この時点の Three B’s は、あくまで「ラジオキャンペーンのためのノベルティ」であり、
スウェット一枚がここまで長く語り継がれるとは、まだ誰も想像していなかったはずです。

Old Iron-Legs “Coach Stahl” の登場

Three B’s キャンペーンが特異な存在として記憶されている理由のひとつが、
1000 マイル(約 1600km)のウォーキングイベントです。

  • サンフランシスコ在住の 79 歳の元郵便配達員
    John F. “Old Iron-Legs” Stahl が、
    「シアトル万博を宣伝するために、サンフランシスコからシアトルまで歩きたい。
    Rainier Ale はスポンサーになってくれないか」と申し出ます。
  • ゴセージらは、この老紳士を「ひとりのチャレンジャー」ではなく
    “コーチ” という役割 に置き換え、一般から Three B’s スウェットを着て歩く参加者を公募しました。

「Coach Stahl Wants You to Walk to Seattle」

募集広告のヘッドラインは、
「Coach Stahl Wants You to Walk to Seattle」 とされています。

  • 徴兵ポスターのように、読者を指さす Coach Stahl
  • 着ているのは、ベートーベンの Three B’s スウェット
  • シアトル万国博覧会を目指すウォーキングイベントへの参加を呼びかける内容

この募集には 700 件以上 の応募が集まり、最終的に次の 3 名が選ばれました。

  • キルト姿のスコットランド人バグパイパー(28 歳)
  • 10 歳以下の子どもが 5 人いる 62 歳の富裕層
  • 38 歳のプロアドベンチャラー

こうして Coach Stahl を含む 4 人のチームが、
サンフランシスコのオペラハウスを出発し、シアトルのスペースニードルまで歩くという企画が動き出します。

メディアが自発的に追いかけたキャンペーン

ウォーキングが始まると、新聞・ラジオ・テレビはこの「奇妙なチーム」を面白がり、
彼らの行程を繰り返し報じました。

  • Rainier と Weiner & Gossage 側は、出発後ほとんど広告費を追加せず
  • その代わりに、各地のメディアが自発的に Three B’s スウェットの一行を取り上げ続ける

結果として Three B’s スウェットは、「広告のためのグッズ」であると同時に、
広告そのものを運ぶ“歩くメディア” のような存在になっていきます。


Howard Luck Gossage とは誰か

Howard Luck Gossage(1917–1969)は、「サンフランシスコのソクラテス」とも呼ばれた広告マンです。

略歴

  • 1917 年、シカゴ生まれ
  • カンザス大学を卒業
  • 第二次世界大戦では航空パイロットとして従軍
  • 戦後、サンフランシスコの広告代理店に入社
  • 1957 年、Wiener & Gossage を共同設立
  • 1969 年、白血病により死去

ゴセージは、当時主流になりつつあったテレビ広告の大量投下や、
派手なイメージ広告には懐疑的だったとされています。

彼が好んだのは、

  • 紙面をふんだんに使った長いコピー
  • 読者に行動を促す応募ハガキやクーポン
  • 商品のイメージよりも、会話や参加のきっかけになる広告

といったスタイルでした。


ゴセージの広告観:「広告は会話の一端である」

ゴセージの言葉として、よく引用されるものがあります。

The real fact of the matter is that nobody reads ads.
People read what interests them, and sometimes it’s an ad.

「大事な真実は、人は広告を読まないということだ。
人々が読むのは、自分にとって面白いものだけであり、
それがときどき広告であるにすぎない。」

そして広告の理想について、こうも語っています。

An ad should ideally be like one end of an interesting conversation.

「広告の理想のかたちは、興味深い会話の一端のようであることだ。」

ゴセージにとって広告とは、

  • 一方的にメッセージを投げつけるものではなく
  • 読み手の興味に触れ、「続きを話したくなる状態」をつくるもの

だったと考えられます。

Three B’s のキャンペーンをこの視点から見ると、

  • ベートーベンのスウェットそのものが
  • ビール、クラシック音楽、シアトル万博、長距離ウォーキングといった話題をつなぐ
  • 会話のトリガーとして設計されていた

と捉えることができます。


著作権と Three B’s:Eagle vs Allison 裁判の顛末

Three B’s をめぐっては、その後、製造メーカー同士の裁判も起きています。

登場する二社

  • Eagle-Freedman-Roedelheim Co.(Eagle)
    Weiner & Gossage から Three B’s のデザインをライセンスされ、
    スウェットを正規に生産・販売していた側。

  • Allison Mfg. Co.(Allison)
    Three B’s によく似たデザインのスウェットを、
    安価な生地と価格で市場に出した競合メーカー。

Eagle は Allison を相手取り、
「Three B’s のデザインを無断でコピーしている」として
**販売差し止めなどを求めて訴訟を起こしました。

Eagle の主張と、裁判所の見かた

Eagle の主張は、おおまかに言えば次のようなものでした。

  • Three B’s の肖像画とレイアウトには著作権があり、
  • 正当にライセンスを受けているのは Eagle だけである
  • Allison はそのデザインを模倣し、安く販売しているので、
  • これは著作権侵害かつ不正競争にあたる

しかし裁判所は、Three B’s について次の点を重く見ました。

  • Rainier Brewing の最初のキャンペーンで配られた 約 600 着 のスウェットには、 著作権表示(©)が入っていなかった
  • 当時のアメリカ著作権法では、
    著作物を表示なしで一般に「出版」すると、
    その時点でパブリックドメイン(公共財)として扱われる可能性が高かった。

結果として裁判所は、

Three B’s のデザインは、
初期配布時点の扱いによって、
すでに誰でも利用できる状態になっている

と判断し、Eagle は Allison に対して独占的な権利を主張できない という結論になりました。

「名作キャンペーン」と「権利の穴」

この裁判が示していることはシンプルです。

  • Three B’s は、広告キャンペーンとしても、スウェットとしても優れた成果を残した
  • しかし 最初の「守り方」 を誤ったために、 デザインの独占的な権利を法的に守ることができなかった

一枚のスウェットがここまで話題を呼び、
さらに法廷で争われるほどの存在になったこと自体、
Three B’s キャンペーンのインパクトの大きさを物語っているといえます。


ゴセージのその他の仕事と影響

Three B’s だけが、ゴセージの仕事ではありません。

グランドキャニオンのダム開発反対広告

ゴセージは、グランドキャニオンのダム開発に反対する広告を手がけたことでも知られています。

  • 当初は一企業の広告案件だったが、
  • ダムによる環境破壊を問題視し、反対広告を展開
  • 広告は大きな反響を呼び、多くの市民を巻き込み、 最終的にダム計画は中止されたとされる

このキャンペーンは、後に
環境運動と広告の関係性を語るうえでの初期事例としても取り上げられることが多いです。

マクルーハンを世に広めた人物

メディア論の研究者 Herbert Marshall McLuhan(マーシャル・マクルーハン) を、
広い読者に紹介するきっかけを作ったのもゴセージだとされています。

  • ゴセージはマクルーハンの文章に早くから注目し、
  • 自身の広告コミュニティやクライアントに紹介した

広告マンでありながら、メディア論や社会の変化にも敏感であったことがうかがえます。


ゴセージが遺したもの

ゴセージは、晩年に次のような言葉を残したと伝えられています。

I’ve never done anything that means anything to anyone in this world
except maybe invent the Beethoven sweatshirt.

「ベートーベンのスウェットを作ったことをのぞいて、
この世に何ひとつ意味のあることをしてこなかった。」

もちろん実際には、

  • グランドキャニオンのダム開発反対キャンペーン
  • 環境運動の先駆けとして語られる仕事
  • マクルーハンの紹介
  • その他の数多くのクライアントワーク

など、多くの仕事がありました。

それでもなお「ベートーベンのスウェット」の名を挙げたことは、

  • 一枚のスウェットが長く愛され続けること
  • そこから生まれる会話や物語が、広告そのものと同じくらい価値を持ちうること

を、ゴセージ自身がよく理解していたからだと考えられます。


まとめ:広告とメリヤスの交差点としての Three B’s

Three B’s スウェットは、

  • 1960 年代の広告キャンペーン
  • クラシック音楽文化
  • ローカルビールメーカーのマーケティング
  • ヴィンテージスウェットとしてのメリヤス設計
  • そして著作権をめぐる裁判

が、一枚のプロダクトを中心に交差した例です。

広告史の文脈でも、ヴィンテージスウェットの文脈でも、
Three B’s=ベートーベンスウェットは、いまなお参照され続けているケーススタディのひとつだといえます。


参考資料

一次資料(判例・原典)

二次資料・関連記事(キャンペーン/人物の背景)


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